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近藤勇の生家跡と墓を見てきました・西武多摩川線に乗ってきました [旅行・鉄道]

西武多摩川線は武蔵境と是政を結ぶ、わずか8km、6駅の単線鉄道です。

首都圏にしてはガラガラの電車に乗って、多磨に到着しました。

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駅の中にこのような掲示がありました。

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駅の出口は上り側のホームにあります。ここから線路を横切る人見街道を東に歩きます。

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しかしここは結構細い通りで、なおかつ歩道も細くなっており、歩行者がすれ違うときは体を横にしなければなりません。

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800mほど歩くと近藤勇の生家跡にたどり着きます。通り沿いで、民家の庭先にあるような形です。

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産湯の井戸です。

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隣に小さな祠があります。

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さらに250mほど歩くと、龍源寺にたどり着きます。寺の前には天然理心流の碑がありました。

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本堂の左側を通って裏に回ると、右側にすぐ近藤勇の墓がありました。この前でしばし合掌して冥福を祈りました。

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一族の墓です。

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右から2つ目が近藤勇の墓になります。

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真ん中は甥の近藤勇五郎の墓です。

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辞世の漢詩。

孤軍 援け絶えて俘囚となる 顧みて君恩を思へば 涙更に流る
一片の丹衷 能(よ)く節に殉ず 雎陽(すいよう)は千古是れ吾が儔
他に靡き今日復た何をか言はん 義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所
快く受けん電光三尺の剣 只に一死をもって君恩に報いん

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その脇に千羽鶴がありました。

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寺をあとにして元の道を帰るとき、道路の反対側を歩いていたところ、發雲館がありました。

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近藤勇はなぜ幕府側に付いたのか?そう考えたのは、彼の住んでいた場所は甲州街道に近く、いろいろな情報が入ってくるような場所であったからです。近くに府中宿、布田五宿があります。

彼の生家である宮川家は純然たる農民でした(裕福ではあったようです)。しかし思想的な影響は、剣道関係者から受けたのではないかと考えます。ひょっとしたら養父の近藤周助の影響もあったかもしれません。

もうひとつは妻のつねです。つねは御三卿である清水徳川家家臣・松井八十五郎の娘です。それで徳川家を守ろうとしたのではないか。彼は愛妻家であったと言われています。まあ、いずれも推測にすぎないのですが。

ただ残念なのは、勇は「妻はブスなほうが貞淑である」という意味の発言をしていることです。そのいっぽう妾を何人も持っていました。「セックスを家に持ち込まないが、家庭は守りたい」という、現代でもよくあるタイプの人だったのでしょう。

話が逸れました。さて、多磨駅からふたたび西武多摩川線に乗り、終点の是政まで行きました。やはり電車はがらがらでした。

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