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横浜市営地下鉄ブルーラインに乗ってきました(横浜ー戸塚) [旅行・鉄道]

本日、AKB48写真会の合間に行ってきました。

みなとみらいから横浜に出ました。

ここからブルーラインに乗り換えるわけですが、これがめちゃくちゃ歩く歩く!

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本当に同じ横浜駅なのか?と思うほどです。西口を出て高島屋の1F部分(だと思う)をひたすら歩きます。乗り換えに10分以上かかりました。地図で見るとそんなに距離はなさそうなのですが、不思議です。

快速の湘南台行きが来たので乗り、戸塚まで行きました。戸塚から先はすでに乗っているので、いったん改札を出てまた入り、各駅停車で桜木町まで戻りました。写真会があるので今日はここまでです。

まだ横浜ーあざみ野間がありますが、またの機会に。


京成成田空港線に乗ってきました・JR成田線に完乗しました [旅行・鉄道]

成田空港線は京成高砂から成田空港までの路線です。1970年代に成田新幹線が沿線などの反対運動で建設できなくなり、1980年代から代替路線の計画が立てられました。しかし完成したのはやっと2010年になってからでした。

運行は京成電鉄がおこなっていますが、線路の所有者は以下のようになっています。
  • 京成上野ー京成高砂:京成電鉄
  • 京成高砂ー小室:北総鉄道
  • 小室ー印旛日本医大:千葉ニュータウン鉄道
  • 千葉ニュータウンー成田空港:途中まで成田高速鉄道アクセス線。途中から成田空港高速鉄道線。

さて、今回はスカイライナーを使います。上野から発車です。

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車両はすいていましたが、さすがに外国人が多くいました。

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発車してからかなりの時間、ゆっくりした運転が続きます。特に京成線内はカーブが多いですし、北総鉄道に入ってからも各駅停車が走っていますからそうやたらにスピードは出せないのでしょう。しかし、あまりにもノロノロ運転が続くので、これで本当に43分で成田まで着くのだろうか?と疑問に思いました。

ところが印旛日本医大を出るとめちゃくちゃ飛ばし始めました。いくら標準広軌とはいえ、ちょっと怖いくらいです。果たして、時間通りに成田空港に到着しました。

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一昨年から成田空港に入る際の検問が廃止されました(私は以前航空無線を聴くために無線機を持って空港に行こうとして足止めを食ったことがあります)。空港で昼食を取ったあと、帰りはJRに乗ることにしました。これでJRの成田空港ー成田間に乗れました。成田エクスプレスです。

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成田のショッピング街の向こうにお寺の一部が見えています。

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東京に戻りました。成田エクスプレスも特急「しおさい」に比べるとスピードが出ているような感じがしました。

成田関連はまだ芝山鉄道が残っています。千葉県内の鉄道を制覇するにはまだまだ掛かりそうです。

銚子電鉄に乗ってきました [旅行・鉄道]

前回銚子に行って乗れなかった銚子電鉄に乗りました。

時間の都合がありますので東京からしおさいを使いました。ガラガラで、自由席でも問題なかったと思います。

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圏央道の下を通ります(日向ー成東)。

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銚子に着きました。銚子電鉄の乗り場はホームの先端です。私は休日おでかけパスしか持っていなかったので、いったん駅の改札で精算し、銚子電鉄の乗車券を買いました。

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車両は2000系。もとは井の頭線で使われていたものです。伊予鉄道を経てここに来ました。

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運賃箱がありましたが使われておらず、車掌さんが車内改札に飛び回っていました。

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発車しましたが立ち客はいません。あきらかに鉄ヲタと思われる人が何人もいます。住宅地の中を進んでいきます。

ある駅の様子。

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20分で終点の外川です。やはり写真を撮っている人がいます。

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この車両は現在は使われていないようですが、自由に中に入れるようになっていました。

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正面から見たところです。

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外川の駅前にはめぼしいものがありませんでした。おそらく少し歩けばいろいろなものがあるはずなのですが。今回は来た列車でそのまま銚子まで戻りました。

銚子から成田経由千葉行きに乗ります。

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松岸ー成田間に乗りました。あと、成田線は成田ー成田空港間に乗れば完乗となります。今回はこのまま千葉まで行きます。

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千葉から総武線快速で東京まで戻りました。

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銚子電鉄は銚子まで行ってしまえば手軽に乗ることができます。途中の犬吠で降りて犬吠埼までぶらぶら行ってもいいですし、見どころは色々あります。ただ東京から行くとなると一日潰れてしまいます。まあこれは仕方ないですね。

流鉄流山線に乗ってきました(近藤勇陣屋跡に行ってきました) [旅行・鉄道]

流山線を経営する会社は流山電鉄などと呼ばれた時期が長かったのですが、現在は流鉄といいます。

1916年に営業運転を開始しています。明治初期に当時の日本鉄道海岸線(現在の常磐線)が流山を通る計画でしたが、流山の人々は水運が衰退するとの理由で鉄道建設に反対しました。そのため流山は発展から取り残されてしまい、主に町民の出資で馬橋と流山を結ぶ軽便鉄道を建設することになりました。これが流山線のおこりです。

ただ、流山の住民が当初鉄道に反対したという説には異論もあり、海岸線が当初川口方面に伸びる予定だったのが、国から直接東京に乗り入れるよう命令されて流山を通らないことになったという話もあります。しかしつくばエクスプレスは流山を通りながら北千住に入っているわけですから、現代よりも障害物が少ない当時にできないことはないわけで、この反論は疑わしいといえます。

さて、さっそく馬橋から乗ることにします。2両編成の電車で、オレンジ色の「流星」です。

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乗り込んだときはこんな感じでした。

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次の幸谷で乗客が乗り込んできました。立ち客が出るほどではありませんでしたが。幸谷が新松戸との事実上の乗換駅になっているせいかも知れません。

途中小金城趾で上下の待ち合わせがありましたが、5駅5.7km、わずか12分で終点の流山に到着です。

駅前は小さな広場があるだけです。近くに市役所はありますが、商店街などは見当たりません。

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駅から250mぐらいの地点、住宅地の中に近藤勇の陣屋跡がありました。特に建物などが残っているわけではありませんが、地元の歴史ボランティアのおじさんたちが立っていて、説明はいかがですかと声をかけてくれます。

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まあ、わざわざこのようなマイナーな場所に来る人はそれなりに勉強している人でしょうから、そこまでしてもらわなくても、とは思います。

流山駅に戻りました。説明の碑があることに気づきました。流鉄は総武流山電鉄と名乗っていた時期があります。

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ホームに入りました。誰もいません。これは「あかぎ」です。

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車庫に見えるのは「なの花」と「若葉」かもしれません。

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帰りに乗るのは「流馬」です。

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100周年の表示がありました。

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流鉄には伸延計画がありました。最終的には馬橋から千葉県の中山(市川市)へ、そして流山から野田、関宿、三和、小山へ、という予定だったそうです。昭和前半までは各地にこのような鉄道網の計画がありました。いすみ鉄道(木原線)と久留里線、小湊鉄道などはその代表格です。

こんにち流山にはつくばエクスプレスという東京直結鉄道ができています。流山の交通網はある程度目的を達したようにも見えますが、流鉄は地域の足としてまだまだ活躍できるように思います。

総武本線に乗ってきました(完乗) [旅行・鉄道]

私にとっては連休最後の日です。家族はどこにも出かけないとのことなので、総武線に乗ることを決めました。

千葉駅から11:15発の銚子行きに乗りました。4両編成。混むかと思われましたが、最初から最後まで空席は十分にありました。

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八街を出発した直後の交差点。ふだん車で房総に行くときはこの道路をいつも通っています。

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その八街を発車してからの動画はこちらをどうぞ

景色はまったく田園風景です。のんびりした絵です。

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駅もこんな感じのところがあります。

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ほとんど単線区間のため上下線の待ち合わせがかなりあり、千葉から銚子までは2時間2分かかりました。待ち合わせがなければおそらく1時間30分を僅かに超えるぐらいかもしれません。

銚子駅です。

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駅前の道路は大変明るい感じです。好天に恵まれ、かなり暑く感じました。

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時間が十分なれば銚子電鉄にも乗りたかったところですが、待ち合わせ時間が40分!外川まで行くと帰りがかなり遅くなってしまいそうなので、駅前でお土産を買って帰ることにしました。帰りはしおさい10号を使わせてもらいました。

千葉県内のJRでまだ乗車していないのは以下の区間です。

内房線:君津ー安房鴨川
久留里線:木更津ー上総亀山
東金線:成東ー大網
成田線:佐原ー松岸
成田線:成田ー成田空港

JRだけでも結構あります。このほかに私鉄の未乗車区間がごまんとあります。まだまだ私の挑戦は続きます。

佐野源左衛門常世の墓に行ってきました [旅行・鉄道]

佐野市鉢木町15-5にある願成寺に行き、佐野源左衛門常世の墓にお参りしてきました。

お寺への道はナビを使用しても結構わかりにくかったのですが、住宅地を行きつ戻りつしているうちにたどり着くことができました。

裏が山になっており、落ち着いた場所にあります。

お寺の本堂です。お参りをしてから各自のお墓に行ってくださいと書いてありました。

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本堂を正面にして右へ進んでいくと、脇に池がある道があります。

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さらに進んで左を見ると源左衛門のお墓があります。

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説明の看板がありました。

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私が中学生のとき、社会の時間に佐野源左衛門のことを習いました。

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ある雪の日、佐野の外れにある小さなあばら家に旅の僧が一夜の宿を求めました。主人は僧を哀れに思い、家に上げてもてなそうとしましたが、貧しいために薪も尽きてしまいました。主人は大事にしていた盆栽を叩き割って囲炉裏の火にくべました。僧はたいそう驚きましたが、主人は語りました。

「自分は佐野源左衛門という武士で、かつては領地を持っていたのですが、一族の者に騙されて領地も取られ、このような貧しい生活になってしまいました。しかし鎌倉に一大事があれば、かならずや真っ先に駆けつけて将軍様に忠義を尽くすつもりでおります」

年が明けて春になると鎌倉の幕府から召集がかかりました。源左衛門も痩せ馬に鞭打って真っ先に鎌倉に駆けつけました。そこに現れたのはあの旅の僧でした。

「私は北条時頼である。おまえの態度は真に立派であり、こうして鎌倉にも駆けつけてくれた。お前の取られた領地を返すようにはからってやろう」

源左衛門はたいへん喜び、意気揚々と佐野へ帰っていきました。

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この話は謡曲「鉢の木」となり、江戸時代には様々な形で上演されました。

しかし、佐野源左衛門常世という人物が本当にいたかどうかは確たる証拠はないようです。

第36回 笠間の陶炎祭に行ってきました [旅行・鉄道]

今年も好天。まだ前半期間ですが多くの人出がありました。

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アイドルグループ NEVA GIVE UP がライブをやっていました。

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東京メトロ千代田線に完乗しました [旅行・鉄道]

千代田線には全て乗ったと思いこんでいましたが、北綾瀬に行っていないことに気づきました。

北綾瀬は綾瀬から分岐している一駅の区間です。車両基地があるためついでに駅を作ってしまえということでできたようです。

千代田線の下りホームから乗り換える場合はいったん階段を降りてまた登ります。

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北綾瀬駅です。

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電車は短い編成でピストン輸送をしています。

帰りに山手線のラブライブ電車に乗りました。

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慈恵医大附属病院に行ってきました [旅行・鉄道]

父が新橋の慈恵医大病院に転院したので見舞いに行ってきました。

東京慈恵会医科大学は1881年に高木兼寛(たかき かねひろ)が設立した成医会講習所が源流です。

父の具合がなかなか良くならず、こちらへの転院を希望したため入院となりました。父はここの同窓生です(私もです)。

この建物は1933年にできた大学本館です。

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大学はこの文化財的な建物を今年解体する予定です。

さて、父は病棟の高層階に入院していました。東京プリンスホテルや増上寺が見えます。

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父の無事を確かめて、大学の中を少し歩きました。大学本館の通路です。

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大学本館の正面です。今はどうか知りませんが、以前、大学入試の結果はここに張り出されていました。

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現在の外来棟です。ここも取り壊されて新しい外来ができる予定です。

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新橋駅前の西口広場です。私は大学病院時代は烏森口から乗り降りしていたのでここに来たことはあまりありませんでした。

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ついでに、銀座にある慈恵医大発祥の地に行きました。新橋から銀座線で一駅、銀座で降りました。場所は中央区銀座3-4-12ですが、狭い道路を隔てて反対側にありました。

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こういうわかりにくい場所です。

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布田五宿を歩いてきました・都営新宿線に完乗しました [旅行・鉄道]

布田五宿は甲州街道の宿場で、国領・下布田・上布田・下石原・上石原の5つの宿場から成ります。国道20号線(旧道)沿いです。鉄道は京王線です。

まず新宿から出発点の国領まで移動します。新宿からは京王線の各駅停車に乗ることがコツです。国領まではかなり時間がかかるのですが、快速や急行などに乗っても報われることはありません。それを忘れて明大前で準特急に乗ってしまいました。

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しかし、千歳烏山で自分が乗った各駅停車にまた乗り換える羽目になりました。

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国領は地下駅になっていました。

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国領駅前です。私はここで降りて大学(進学過程)に通っていました。その頃は地上駅で一本道が通っていたのみ。駅前広場などはありませんでした。いまは再開発されて風景が違っています。

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ここから旧甲州街道を歩きます。

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あまり昔の面影はないように思われましたが、ところどころにあります。圓福寺です。

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六地蔵尊がありました。

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こちらは成田山調布不動尊と医王山常性寺です。

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本来なら下石原・上石原まで歩きたいところでしたが、暑いので調布駅までとしました。駅前の風景です。

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調布から京王線で笹塚に行き、都営地下鉄新宿線で本八幡まで行きました。これで都営新宿線は完乗しました。

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本八幡駅前です。市川市の中心駅は市川ではなく本八幡になります。

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